世の中が変である原因

 大企業で世間体は良い会社なのに楽しく働いている人がほとんどいないことも、そこで嫌々働き続けることも、変だな〜って思う。

そもそも"変である"というのはあくまで主観的な見解であり、おそらく少数派の意見である。大半の人が今の社会を受け入れているからこの"変"な社会が続いているのだと思う。

  まず、楽しく働いている人が少ない原因。それは旧態依然とした組織体系だと思う。完全実力主義という体制をとり、組織をピラミッド化させている企業は、社員が疲弊しきっていることが多い。年功序列は論外。省略。

 完全実力主義の体制をとり、給料や地位を餌にすることで働く意欲を沸かす。つまり、社員は外発的動機で動く。一見、組織を活性化させる上では合理的かと思われる。しかし、この体制は持続不可能組織だ。なぜなら、外発的動機で働くことはその人本人の幸せや喜びに結びつかないからだ。特に衣食住不自由ない今の日本において、外発的動機で働くことは本人にとって何の価値もない。ただの会社の歯車だ。

 組織改善の例として、今話題の"ティーン組織"が挙げられる。こちらの組織論は本になっていて、ぜひ読んでいただきたい。概要としては、内面的動機を最優先するといった人間原理に基づいたもの、リーダーをあえて決めず全員がフラットに活動するといった自然の摂理に基づいたものである。詳しくはまた今度の記事にでも書こうと思う。

 そして嫌々働き続ける原因。それは不透明なものに怯えることだと思う。今の時代、終身雇用は保証されていない。転職を失敗とされない。無所属で個人で活動するというのも難しくない。同じ会社で働き続けることは何か目的がない限り、特にメリットはない。

 こんなに選択肢のある素晴らしい時代にも関わらず、嫌々同じ会社で働き続ける人が山程いる。それは先が見えないことに対して不安を感じるからだ。安定した収入がなくなる、安定した将来がなくなるといったところだろうか。

 しかし、よく考えたい。今、社会はものすごい勢いでが変わっている。特に、AIの出現で今存在する仕事の大半はなくなる。そんな社会の中で、安定を求めて先の見える生活を送ろうとし惰性のまま生きていて良いのだろうか?そっちの方がリスクが高いというのは明確である。無駄な感情は一切省いて行動しないと、本来大切にすべき、"楽しい"、"嬉しい"、"幸せ"という感情を疎かにする結果になってしまうと思う。

自分にとって何が楽しいか
自分にとって何が嬉しいか
自分にとって何が幸せか

難しいことを考えずに大切にしたい感情を持ったまま行動すればそれで良いと思う

 





 


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KANTARO

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